民俗学者・塚原伸治さんの連載「お金の民俗誌」が8月より始まります。商人や老舗、お祭りなど、日本の様々な地域・時代におけるお金の慣習に注目し、経済を民俗学的な視点からとらえ直していく本連載。その展望を塚原さんに取材しました。
interview and text by Kazuaki Asato
illustration by Toru Miyagi
photographs by Wataru Suzuki

ツケ払いの「合理性」
──民俗学とお金というと、どこか遠いイメージがあります。塚原先生は「まるいらぼ」の連載では、どんなことを書かれるのでしょうか。
私がこれまで研究してきた近代以降の商業地区の商慣習を入口に、現代の「人とお金の関係」について考えてみたいですね。私たちの生活には資本主義だけでは説明がつかない、一見無駄に思える慣習があります。でも昔の商いのあり方を見てみると、そんな商慣習にも一定の合理性があることがわかってくる。そんな視点を提供できたらと思っています。
いろいろ書いてみたいことがあるのですが、まずは「ツケ払い」から始めるのがおもしろそうだなと思っています。ツケ払いとは皆さんもご存じかもしれませんが、品物を受け取ったその場ではお金を払わず、後でまとめて払うやり方ですね。
──昭和を描いたドラマや映画で、飲み屋の支払いを「ツケといて!」なんていうシーンをよく目にします。
そうですね。ただ、その場合のツケは「手持ちのお金がないから今度払う」というニュアンスになりますよね。でも昔はあらゆる商売の場面で「ツケ払い」がされていたんです。例えば、私の実家はガラス屋さんだったのですが、毎年大みそかになると、まとめて支払いを受け付けていました。だから帳簿の整理で大忙しなんですよ。
──飲食店だけでなく、いろんな商いが「ツケ払い」で回っていたんですね。
私が生まれ育った千葉県の佐原という町には、たくさんの商店がありました。魚屋、材木屋、お菓子屋、靴屋、お茶屋、ガラス屋……どこも基本的にツケ払いでした。なぜこんなにもツケ払いが行われていたのか、今の感覚からするとなかなかわからないですよね。
塚原さんは千葉県・佐原のほか、福岡県・柳川、滋賀県・近江八幡でフィールドワークを行っている。写真はその資料の一部。そのいずれも「水郷」と呼ばれる水運の拠点として商人町が栄えた歴史をもつ
──ちょっと先取りしてうかがいたいのですが、例えば、毎月引き落としのあるクレジットカードの支払いと「ツケ払い」では違うのでしょうか? 後で払うという意味では似ているように感じますが。
まとめて払うという意味では同じですが、売り手と買い手の関係性という観点からいうと、全然違うんです。クレジットカードの場合は、カード会社が間に立っているから、買い手は売り手に直接支払っているわけではない。
ツケ払いの場合、売り手と買い手の関係性が続くんです。貸し借りを完全にゼロにして清算してしまうのではなく、あえて少し残しながら次の売り買いへとつなげることもありました。ツケは支払いを猶予してもらうという買い手のメリットだけでなく、お客さんとの関係を続けたい売り手にとってのメリットもあるんです。もちろん同じ町内に暮らし、互いを信頼しているからこそ成り立つ関係性なのですが。
百年前からキャッシュレス
──ツケ払いは、売り手と買い手の関係性を続けるための工夫になっていたんですね。
だからといってツケ払いを「昔は人情があってよかった」と、単純に美化することはできません。お客さんのツケが溜まりすぎれば、店は当然どこかで支払いを求める必要が出てくる。少し強めに取り立てることもあるでしょうし、それでも支払いが滞れば、「もうあなたには売りません」と関係が切れてしまうこともある。互いの素性が明らかになった状態で行われる商売は、温かい人情だけでなされるのではなく、かなりシビアな状況も生んだはずです。
その点、今の買い物は、人間関係と切り離したことで便利になりました。スーパーマーケットやコンビニエンスストア、インターネット通販では、何かを買うたびに、店の人と関係をつくらなくても気軽に買えますよね。
──確かに、何を買うにも人間関係に気をつかうのは大変です。その点、今の買い物は、店員さんとコミュニケーションを取らなくても欲しいものが手に入るので気楽です。
その意味で、今の便利な世の中は、私たちが望んできた未来が実現したと言えます。でも一方で、人間関係の介在した売買も健在です。自動車の営業なんかだと、このディーラーを信用して購入する、という価値判断が生きています。そんな大きな買い物ではなくても、魚屋や八百屋のような人たちの知識や経験に価値を感じて買い物をするお客さんもいます。
こういった「何を買うか」だけではなく「誰から買うか」を大事にする流れは、今再び注目されているようにも感じます。互いに匿名のまま行われる買い物もあれば、互いの信用に基づいた買い物もある。どちらの商売のあり方も見ていくことが大切になってくると思います。
──こうした視点から、塚原先生が最近関心をもっている、現在の商習慣はありますか。
それでいうと、日本でキャッシュレス決済が根づくのに、どうしてこんなに時間がかかったのか不思議でならないんですよ。「日本人は現金主義だからね」とよく言われますけど、それって本当なのだろうか。だって、ツケ払いもその場で現金払いしないという意味ではキャッシュレスですから。
──言われてみれば、確かにそうですね。
私が見てきた範囲では、日本人が現金主義になったのは、せいぜいここ百年くらいのことです。むしろそれ以前はツケ払いが広く使われていた。だからこそなぜキャッシュレス決済がなかなか浸透しないのか。この謎は、いつか探ってみたいですね。
塚原先生の研究室があるフロアから見た東大駒場キャンパスの風景
「宵越しの銭は持たない」の秘密
──ちなみに、ツケ払い以外にも支払いに関する慣習はあったんでしょうか。
「ツケ払い」とは別に「手間賃」というものもありました。「手間」とは、仕事に費やす労力や時間のことを言います。そこにかかるお金が「手間賃」ですね。大工さんなどの職人で考えるとわかりやすいです。彼らは「建物一軒あたりの報酬」ではなくて、一日単位で手間賃をもらっていました。良い仕事には時間がかかるし、腕のある職人が必要です。施主は職人たちを拘束しているぶん、彼らの技術力に毎日お金を払っていくわけです。
「何年かかってもいいから、とにかく良い仕事をしてくれ」という頼み方ができたのも、職人の腕へのリスペクトがあったからでしょう。落語なんかでも、職人がもらった手間賃をその日のうちに全部使ってしまったりしますよね。
──「宵越しの銭は持たない」ですね。
その日のうちに全部使ってしまえるのも、次の日に現場へ出れば、また手間賃がもらえるからなんです。細かい帳簿のやりくりなんかしなくても、「今日も明日も俺は良い仕事をするんだ」という生き方が、かつては成り立ったんです。ツケ払いと手間賃を並べてみると、今当たり前になっている買い物や仕事の仕方とはまた別の可能性が見えてくるはずです。
この連載の土台は、私がこだわってきたフィールドワークで見えてきたものです。それをいつもの論文とは違う形で皆さんの生活に関係している話としてシェアできるのが楽しみですね。落語や江戸時代の随筆など、いろいろな作品にも寄り道しながら、「お金の民俗誌」を見ていきたいです。
写真上:佐原の大祭の様子。大きな人形などが飾りつけられた大型の山車が町内を練り歩く。関東三大山車祭りに数えられている/写真下:フィールドワーク先の一つ、近江八幡の「八幡堀」。琵琶湖とつながり、近江商人の物流の大動脈として活用された
「かりそめ」の社会を見るのだ
──こうした商売の合理性というのは、今の私たちの資本主義的な取引とは異なる論理で成り立っているように思います。民俗学だからこそ知ることができる経済のありようがあるということなのでしょうか?
そうだと思います。先に挙げたツケ払いや手間賃というのは、単なる支払いの方法というだけでなく、人と人との関係性を続けていくための技法でもありました。こうしたさまざまな慣習を民俗学的に拾い上げていくことで、経済を「お金と人とのやり取り」の生態系としてとらえることができるのではないかと感じているんです。
私はよく「民俗学には効能がたくさんある」と言っているのですが、代表的なものを一つ挙げると、「社会にはいろんな人がいる」と実感できる点ですね。民俗学者は、人類学者ほど遠くの世界を見ているわけではない。だから人類全体での多様性には疎いかもしれない。でも、身近な土地へ足繁く通ってフィールドワークをしている分、自分と似たような人でも全然違うということを知りました。
人々は皆、それぞれ異なる属性を持ち、いろんな経験をしてきている。一人として同じ人はいません。「いろんな人がいる」と一口に言ってわかった気にならず、本当の意味でそれを知ることができるのが、民俗学の良いところです。
──近代以前から残されてきた暮らしを民俗学的に見ていくことが、現在を考えるためにも大切になってくるのですね。
現在の私たちの生活は、自分たちだけでつくったわけではないですよね。今話しているこの言葉一つ取っても、長い歴史を経て、用法や意味合いを少しずつ変えながら、今に伝わっている。私たちは皆、誰かが築いてきたものに寄りかかって生きている。過去に生きた人たちともつながっているわけです。だから過去を見ることは、今を見ることにもなるんです。
でもここは微妙な話なのですが、「今を知るために、過去を見る」というのとはちょっと違うと思っているんですよ。
──どういうことですか?
すごく伝え方が難しいんですが……。今のために過去を見るという姿勢は、現在を過大評価しているような気がするんです。現在という固定的なものを説明するために、過去を説明の道具にするのが民俗学ではない。
今のこの社会だって「かりそめ」だと私は思うんです。いろいろな可能性があった中で、たまたま今のこの状態になっている。だから「別の世界もありえる」という可能性の束を取り戻すために、過去の人々の暮らしを見たい。そのほうが、エキサイティングだし、本当のことに触れられると思うんですよね。
祭りにのめり込む大人への疑問
──そもそも塚原先生は、どうして民俗学で商売を研究するようになったのでしょうか。
私の民俗学への興味は祭りから始まっています。私が生まれ育った佐原には「佐原の大祭」というお祭りがあって、大きな人形を載せた山車を町内ごとに曳き回すんです。祖父も父も祭りが大好きで、私も物心がつく前から「お祭り少年」でした。
でも、祭りが好きでのめり込む一方で、「なんで大の大人が熱中してるんだろう?」と不思議にも思っていました。祭りって、暑いし、痛いし、重い(笑)。なのになんで全人生を投入するように夢中になっているんだろう?と。もともと歴史が好きな子どもであったので、高校生のころには民俗学の本を読むようになり、テレビで諏訪の御柱祭や岸和田のだんじりの映像を見るようになりました。大学の推薦入試でも「祭りを研究したい」と面接で言いましたね。
連載での原稿執筆は初めてだという塚原先生。ぜひ次回からの連載をお楽しみに
──祭りから商売や経済といった方向に舵を切ったのはなぜですか?
祭りのことを知るには、その祭りに参加する人たちの普段の生活も知らなければいけないと思うようになったんです。また当時は民俗学のなかでも「生業研究」が盛り上がっている時期で、それに憧れたことも影響しました。
──生業研究とはなんですか?
魚を獲る人が海や魚とどう向き合うのか、猟をする人が山や獲物とどうぶつかるのか。人が生きるためにしている仕事や活動を見る研究ですね。これが人の生に迫っている感じがして、大学生の私にはすごくカッコよく思えた。民俗学だけじゃなく、生態人類学や環境社会学など別の分野ともかかわる学際的な研究であることも魅力でした。
それで卒論では佐原の町の生業研究をやろうと思ったんです。ところが、佐原は村じゃなくて町なんですよ。だから魚を獲る人も、鉄砲を撃つ人も、田んぼをやる人もいないわけです。私のまわりには魚屋や材木屋、菓子屋、靴屋、お茶屋といった商店ばかりで、実家もガラス屋だった。だからおもに一次産業を対象にした従来の生業研究ではなかなかとらえきれなかったんです。
──なぜとらえられないんでしょうか?
生業研究って、対象をひとまとまりの共同体として見るところがあるんです。農業も狩猟も漁業も、その土地でやられていることに大きな差はない。でも町の商店って、皆違う商いをしているじゃないですか。だいたい家族経営で、誰もが一国一城の主なんです。商工会なんかはあるけれども、皆が普段やっている仕事の内容は全然違う。だからこれまでの生業研究の枠組みでは、なかなかわからないことが多かったんです。
商店街の動的なネットワーク
──それまでの生業研究では研究がしにくかった町の商店を、塚原先生はどのような視点で探っていったのでしょうか?
売る人と買う人が相互に入れ替わる現象を見ることにしました。魚屋は魚を売るけど、お客さんとして靴屋やお菓子屋に行くわけですよね。その逆もしかりです。あるときは店の人でも、別の店へ行けばお客さんになる。売り手と買い手のネットワークとして佐原の町をとらえ直しました。
そのつながりは固定的ではなく、常に変わり続けます。売り手と買い手が入れ替わるだけでなく、別の商売に替える人もいれば、廃業する人もいる。そのたびに、誰から買うか、誰に売るかがつなぎ替えられていく。その微妙な調整の積み重ねで、町のネットワークは維持されてきました。商店街は静的で固定された関係性ではなく、実は動的なネットワークを形成しているんです。
関係が変われば、取引の仕方も変わる。「まるいらぼ」が考えている「関係のエコロジー」とも通ずるテーマかもしれません。
──商店のいきいきとしたネットワークには、現代の生き方にもいろいろなヒントがありそうですね。
そうですね。ただ、ここで気をつけたいのは、よく言われるような「地方の商店街が廃れたのは、大型ショッピングモールのせいだ」といった言説に寄りかからないことだと思います。わかりやすい論理ですが、そうやって悪者を決めてしまうと、その町で生きてきた人たちの実像が見失われてしまう。
今の経済の問題を特定するというのではなく、一人ひとりがどう生きてきたのかを見る。それもまた民俗学の役割なのだろうと思います。
次週7月30日は、黒鳥社コンテンツディレクター若林恵による連載「『好き』がつくった世界:ファンダム小史」の第1回を配信します。近年、ビジネスの世界でも注目される「ファンダム」という概念はいかにして発見されたのかをたどります。お楽しみに。









